鎌倉の旅 <報国寺>
2014年 12月 02日
f^^;
雨模様の中、現地集合ということで
鎌倉駅で待ち合わせをして7名で「報国寺」へ。
以前、雑誌の記事で内田彩仍さんが訪れていて
竹の美しさに魅せられ
「鎌倉に来たら必ず行きたい。」
と思っていたお寺です。
山門をくぐると清清しいほど手入れの行き届いた
エントランスが続きます。
このお寺は足利尊氏のおじいさん
足利家時が建てたといわれる臨済宗のお寺です。
奥には、無数の孟宗竹が天を突くように
林立する竹庭があります。
「休耕庵」というお茶席があり
お茶をいただきながら、雨のそぼ降る竹林を眺めるのも
心地のいいものでした。
かつては、この庵で修行をされていたようです。
お干菓子でお抹茶をいただきました。
雨の平日なのに
意外と多くの人がいらっしゃいました。
鎌倉幕府滅亡後、足利幕府の時代になると
鎌倉公方として尊氏の嫡子の子孫に
関東一円を支配させます。
その後、鎌倉府の公方・足利持氏は
京都の6代将軍・足利義教(よしのり)に
反抗し戦となります。
「永享の乱」です。
敗れた持氏は自害し
まだ11歳の持氏の子・義久も
ここ、報国寺で自害させられたと伝わっています。
こんなに美しい場所なのに
悲しい物語が秘められていました。
切り立つ崖沿いに歩くと、くり抜いた洞穴に行き当たります。
鎌倉でしばしば目にする「やぐら」です。
やぐらは武士や僧侶など上層階級の人のお墓で
中世の鎌倉地方固有のもの。
執権・北条泰時が墓地を設けることを禁じ
「やぐら」が作られるようになったといわれています。
ここの「やぐら」の中には
足利家時と義久の五倫搭が残っていました。
山肌を垂直に切り落とした「切岸」とやぐらは
ときに寺院の庭の借景となりますが
亡くなった人の生涯を知ると
ただ、美しいとは言ってはいられない
無常な世界を感じました。
どの写真も絵画みたいに美しくてうっとりです。
こういう風景を見ると日本って美しいなぁって思いますよね。
禅寺は境内の隅々まで掃き清められていて
隙のない美しさがありました。
初めての鎌倉は、全てが珍しく感動しました。
しばらくお付き合いくださいませ。 ^^
お返事が遅くなってごめんなさい。ドットのチノパンですね。
内田さんの本と手持ちの雑誌を確認してみたのですが
2012年に出版された「日々のおしゃれ」のP50 に掲載されているものでしょうか?
もしも、このドットのチノパンだとすると
マリメッコのボーダーシャツの着こなしがメインで、このチノパンについては何も書かれていないので正直なところわかりません。
ごめんなさい。お役に立てなくて。
でも、著書にも書かれていますが、
『私のワードローブは、何年も着ている服も多くて。中には”20年もの”まで存在します。』と
もしかすると、今後の著書の中で
拝見する機会があるかもしれませんね。