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四條畷神社

四條畷神社_d0295818_22521840.jpg

飛び飛びになっている太平記のレポの続きです。


吉野から奈良市内を通り

大阪府四條畷市にやってきました。 


楠木正行(まさつら)は先帝後醍醐天皇陵に参拝し

如意輪堂に詣でた後、正面の扉に鏃(矢の先)で辞世の句を刻み

四条畷へ向かいました。

引連れた主な家来は143名でした。


南朝の将として戦い

四條畷の戦いで敗死します。御年22歳といわれています。



四條畷神社_d0295818_22534589.jpg

ここ四條畷神社は、楠木正行を主祭神としています。 

境内の後ろは飯盛山が控え

地元の人達のハイキングコースのようで 

リュックを背負った人たちが上り下りしていました。


神社の階段を登っていると声をかけて下さる方がいて

私たちが太平記ゆかりの地を巡っていると知ると

正行のお墓が西へ1㌔程離れたところにあることなど

色々と教えてくださいました。

大阪のおばちゃんは親切です。



四條畷神社_d0295818_230247.jpg

四條畷の合戦の概要図を河野先生からいただきました。

当時は新開池、深野池が西に広がり

東には飯盛山、生駒山、信貴山と南北に山脈が連なり

極めて細長く狭い場所が戦場となっています。

現在の大阪とはかなり地形が違っているのに驚きました。



四條畷神社_d0295818_2301895.jpg

父、楠木正成が湊川の戦で戦死した後

後を追い自害しようとした正行を母親が

「桜井の駅で父は死ねと教えらたか」と、さとされ

気を取り直し、これより一心不乱に文武の道に励むシーン。


父、正成が大楠公(だいなんこう)と呼ばれるのに対して
 
楠正行は小楠公(しょうなんこう)と呼ばれます。

地元に住む人々の間では、「楠公さん」と言えば

楠木正行やこの神社を指すそうです。



by mami-2013 | 2015-06-19 18:30 | + 2015.05.16 太平記の旅 | Comments(0)

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