1400年の住宅街 西里
2016年 07月 28日
藤の木古墳から法隆寺の西大門に向かって歩きます。
車、一台がやっと通れる閑静な宅街ですが
このあたり一帯は
大工、左官、瓦職人、石工等
法隆寺を支えた宮大工の本拠地だったとか!
ひび割れた土塀すら、いい趣きを出しています。
今をさかのぼること1400年。
かの聖徳太子が斑鳩に宮を造営して以来
歴史を刻み続けている町並みです。
土塀の中のニッチ(?)に
愛宕大明神をお祀りしていました。
ちょっとした路地の奥にも
祠が。
鬼瓦や鐘馗等、各民家の意匠も見ごたえがありました。
あ! ただ、ここは生活をされている住空間なので
家の中は覗いちゃダメです。
観光地ではないので怪しい人に間違えられます。
当時は石畳の路だったのでしょうか?
法隆寺の西大門に一歩入れば
観光客やガイドさんがわんさかいるのに
この路を歩いている間は
誰ともすれ違わずのんびりと歩きました。
夫が「小学校の修学旅行以来
法隆寺には行ったことがないから行ってみたい。」
と、言った時は
私は1年前に行って来たばかりで「え~!」
だったけど、1400年の歴史を持つ斑鳩は
いくらでも見所がありました。
(#^.^#)
イイネをありがとうございます。
こんなに風情のある住宅地があるのですね。
法隆寺を支えてきた宮大工の人達の本拠地と聞くと
なるほど・・・と納得できますね。
ゆっくり歩いてみたい場所です。
いにしえの人たちの姿が、見えるような気がします。
またお邪魔させてくださいね。
初めまして。コメントありがとうございます。
ここは、とても趣のある場所でしたよ。
記事には書かなかったのですが
大阪夏の陣の折、城を攻める大はしご等の道具を作ったため
敵の豊臣方から攻められ西里の集落は焼かれ
それ以前の建物はないそうですが
300㍍四方の範囲に脈々と歴史を伝える遺構が残されていました。(*^-^*)