今も続く?長屋王の祟り
2016年 09月 26日
河野先生から長屋王の邸宅がこのあたりにあり
天平時代は、貴族や王族の邸宅が並ぶ高級住宅地(?)
だったと聞いてやって来ました。
その跡地に建つというイトーヨーカ堂のエントランスには
説明板がありました。
発掘調査の結果、こんな大邸宅だったようです。
左大臣、長屋王の祖父は天武天皇、父は高市皇子
母は天智天皇の娘で、御名部皇女(みなべのひめみこ)。
妻の吉備内親王(きびのないしんのう)は
母は元明天皇、祖母は持統天皇で皇族の中でもエリートです。
ここは、『平城宮』からも目と鼻の先で、最高の立地条件です。
約6万平米もの広さがあり
平城宮内裏正殿に準ずる広さだったそうです。
そんな国政の中心人物だった長屋王に
なぜ、謀反の疑いがかけられたのかは
勉強不足で良く知りませんが
この邸宅で妻子とともに自尽においこまれました。
そして『長屋王の祟り』といわれる言い伝えがあるそうです。
この事件は、長屋王といさかいのあった藤原4兄弟の陰謀だったと
都人に疑惑の目で見られていたそうですが
天然痘の流行により、あっという間4人とも亡くなります。
時は過ぎて平成の世、ここは以前、そごうデパートでした。
出店が決まり、発掘調査がすすめられ
長屋王邸の跡であることがわかりました。
4万点にも及ぶ木簡が発見され貴重な遺跡であることがわかり
保存を求める声も高まるも、反対を押し切りそごうは開店します。
バブル崩壊後、そごうは破綻し2000年に閉店をします。
「それみたことか。長屋王の祟りだ。」
と、言われたとか、言われないとか。
長屋王について初めて知ったのですが、なかなか興味深いお話ですね!
平安時代から現代にかけて、壮大な歴史ロマンを感じます。
そして、最後のオチ「言われたとか、言われないとか」がいいですね!”クスッ”となりました(笑)
コメントありがとうございます。(*^-^*)
最後のオチは私の気持ちも含まれているかな~?
平城宮跡がとても充実していたから…。
遺跡を維持していくためにはお金がかかるから
観光価値の要素もないと保存は難しいのでしょうかね。
そごう創始者の十合伊兵衛(そごう いへえ)は大和の出身です。
それで奈良にもそごうをと建てられました。
遺構のため地下階がありません。
京奈和道のルートも決まりません。
高さ制限のため大手のホテルも敬遠されます。
私はそんな不便な大和路が大好きで愛していますよ。
こちらこそ、コメントありがとうございます。
京奈和道と、いうのですか
この前の奈良旅行でバイパスだと思い通りましたが
奈良市中を通って京都に向かうのですね。
私も奈良が好きで年に一度は訪れます。
次は一言主神社辺りを散策したいと思っています。
これからも奈良の素敵な写真を拝見したいです。
よろしくお願いします。