東大寺の大仏さまになった明延(あけのべ)鉱山の銅
2016年 11月 28日
神子畑選鉱場跡で知った明延鉱山が気になって
地図で確認するとひと山越えたあたりだったので
30分もかからないと思ってやって来ましたが
思いのほか山が険しく時間がかかりました。
おまけに行き過ぎてしまうし。((+_+))
神子畑選鉱場跡のような遺物はなく
雨も降ってきて、ガラーンとした寂し気な場所でした。
ここにもインクラインがあります。
この鉱山は多品種の非鉄金属鉱脈をもつ鉱山で
特にスズは日本一の鉱量を誇っていたそうです。
わかるでしょうか?
インクラインの上った先に鉱山施設があったようです。
創業時の古い写真もありました。
手前に一円電車も見られます。
この鉱山の歴史は古く
奈良東大寺の大仏(752年開眼)鋳造時には
ここから銅が献上されたと記録に残っているそうです。
この鉱山も最盛期は4千人以上の人が住み
今では閑散としたこの通りも賑わっていたのでは?
いまも当時の共同浴場が残っていました。
いつ頃建ったものでしょうか?
近代化産業遺産に認定されていました。
一見、倉庫のようなこの建物も
娯楽施設の「協和会館」といい、映画が上映されたり
多くの芸能人がコンサートを開いていたそうです。
ここにも一円電車が保存されていました。
動体保存されていて、月に一度乗れるようです。
一週間前に来ていたら「あけのべ一円電車まつり」をやっていて
当時のような賑わいが戻っていたとか!
白金号です。
今は錆びて朽ちかけているけど
現役の頃は 5.75 km の山道を鉱石を積んで
何度も往復したのでしょう。
プラザ合意後の急激な円高に伴い
鉱石の価格が下落し、大幅な赤字を計上することとなり
まだ採掘可能な鉱脈を残して、1987年明延鉱山は閉山しました。
以前行った柵原鉱山を含め
日本各地の鉱山が閉山を余儀なくされていたことを
今頃になって知るなんて!
今回訪れた明延鉱山、神子畑鉱山と、
昨年訪れた生野鉱山を結んだ鉱山専用の
明延鉄道、鉱山道路、鋳鉄橋を
「鉱山の道」と名付けられ
往時を忍ぶ産業遺産としてなっていました。
「明延鉱山探検坑道」という見学可能な坑道もありました
明延鉱山の坑道ツアーのことが載っていました
(2016.10.09撮影)
でした。
私の住む豊岡からは一時間程の距離で、あまり関
わりはなかったのですが、高校生の時には、ここ
から求人票が来てました。但馬内の企業は、当時
初任給10万あれば高給でしたが、明延鉱業は13~14万あったと記憶してます。
豊岡からは誰も行かなかったてますが、もし行ってたら一年で失業するところでした。
鉱山のお仕事は高給と聞いていましたが
それだけに危険な事も多かったのでしょうね。
でも閉山1年前でも求人募集をしていたということは
閉山があまりにも急だったのでしょうか。
豊岡というとコウノトリを思い浮かべます。
毎年放鳥もしているようですが住んでいると
自然の中のコウノトリを
目にする事もあるのでしょうか?( *´艸`)