新益京(あらましのみやこ)跡
2017年 01月 29日
かつて大極殿のあった地。
新益京(あらましのみやこ)跡というよりも
学術用語の藤原京跡と呼ぶ方がなじみがあります。
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香久山
と、持統天皇が詠った都の跡に行ってみました。
「あれが天の香久山、こっちが畝傍山
甘樫丘はここからは影になってるなぁ。」
大極殿跡を散歩していた地元の方に教えていただきました。
明日香にある伝板葺宮と比べると広々とした感じ。
それもそのはず、最近の調査では
平安京、平城京よりも広かった事が確認されています。
首都となっていたこの都はわずか16年間で平城京に移ります。
ここに建っていた大極殿などの建物も解体され
平城京へ移ったと何かの本で読んだことがあります。
昔の首都移転は人海戦術だから
多くの年月を費やしたかもしれないけれど
100年かけて育った木は木材にしても100年持つといいます。
都としては16年で終わったけれど
次の平城京でもこんな風に建ち続けていたんだろうなぁ。