カテゴリ:+ 京都の旅( 7 )

下鴨神社のみたらし祭り


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京都ついでに、7月ならではのお祭りをご紹介します。
数年前に行ってきたお祭りです。

京都のお友達から
「7月に京都に来るなら、ぜひこのお祭りへ。」
と勧められ、行って来ました。


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京都下鴨神社の「みたらし祭り」です。
平安時代の原生林がそのまま残る「糺(ただす)の森」の中にある
京都最古の神社のひとつです。

本殿2棟(国宝)と社殿53棟(重要文化財)を含め
世界文化遺産に登録されています。

みたらし祭りは、「古今和歌集」にも詠まれるほど古くから続く神事で
人々の罪や穢れを大海原に運んでくれるという
「瀬織津姫」を祀る「お祓いの神事」です


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一年で最も暑い「土用の丑の日」の前後4日間に行われるこのお祭りは
みたらしの井戸から湧き出る清らかで冷たい水に足を浸し
身も心も清らかに祓い清めてくれます。

今年は、明日26日から29日までです。

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
ではじまる『方丈記』の鴨長明はこの下鴨神社の摂社の次男です。

石川や 瀬見の小川の 清ければ
     月も流れを たずねてぞすむ

と、詠んだ瀬見の小川は、参道西側に今なお
その清らかな流れを残しています。


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瀬見の小川に沿って北上すると奈良の小川が参道を横切り
小川はさらに北に続き、
御手洗川、みたらしの池を経て、みたらしの井戸に達します。

京都は水を得るには、楽な土地で
昔は、浅い井戸でも難なく水が出たといいます。
「糺の森」から京都御所、神泉苑に至る地下には
琵琶湖に匹敵するほどの地下水があるとのことです。

ウソみたいでしょ!NHK特集でやっていました。

下鴨神社が鴨川と高野川の中洲に祀られていることも
水とのかかわりの深さを感じられずに入られませんね。


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池に入り、いただいた蝋燭に灯りを燈していきます。
と~っても冷たいので、汗がすっとひきます。

池からあがった後は湧き水をいただき
無病息災を願います。
写真はないけど、このお祭りでは
「みたらしだんご」を売っています。

みたらい祭りこそ、このお団子の発祥とか。
この神社のお向かいにある団子屋さんが作っています。
10本で千円くらいで売っていました。

以前、京都大原の茶店でお団子2本で満腹になり
「こんなに食べられない~!」と思ったのに
ぺろりと5本も食べちゃいました。


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暗くて、行きませんでしたが
「糺の森」は12万4000㎡あtり
平安京以前の原生林の植生を伝える貴重な自然林です。






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by mami-2013 | 2014-07-25 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

当尾の里を歩く 浄瑠璃寺Ⅱ

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本堂の九体の阿弥陀如来様です。(パンフレットより)
国宝です。なぜ九体あるかというと
「九品往生」の考えに基づきます。

「南無阿弥陀仏」と、となえれば
誰もが極楽にいけるのが浄土教。

ただ、その人の努力や心がけ次第で
その行きかた(往生)は
下品下生(げぼんげしょう)からはじまり
下の中、下の上と…。
最高は上品上生(じょうぼんじょうしょう)まで
九つの段階があるそうです。

末法思想が信じられていた平安末期
誰もが、死んだら極楽浄土へ行きたいと願う
気持ちから、阿弥陀信仰は深く浸透していったのでしょう。


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このような九体阿弥陀堂は
当時の貴族や豪族たちが競うように建立し
京都を中心に多数あったそうですが
今でも現存するのは、浄瑠璃寺だけだそうです。

中央の大きな像は定朝(じょうちょう)様式といわれ
定朝は木を寄せて、像身を組み立てる
寄木造(よせぎづくり)を考案しました。

複数の仏師の分業による制作を可能にして
同じモジュールと技法で
大量の仏像を、誰が作っても品質を落とさず
完成させることができるようになりました。

悪く言えば、似たりよったり…。

(あ!言い過ぎですね。)

お金のある人は仏像を作り
信心をし、西方浄土へ行く「その時」が来たら
上品上生は無理でも、ワンランク上の往生を…と
願っていたのでしょう。

そんな需要が高まる中で
大量生産システムが確立されました。

(またまた、言い過ぎ?)

でも、これだけすごい人なのに
定朝作といわれる仏像は
宇治の平等院の阿弥陀さま一体だけだそうです。

皮肉なことに、大量生産システムのおかげで
似た仏像はたくさんあっても
見分けがつきにくいそうです。^^;

今日は思いっきり
好き勝手なことを書きました。
でも、それだけ
このお寺と阿弥陀信仰が
気に入ってしまったのです。

国宝の四天王像も素晴らしかったのですが
多聞天と広目天は
京都と東京の国立博物館へ行っちゃってます。
なんでバラバラにしちゃうんでしょう?

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by mami-2013 | 2014-07-16 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

当尾の里を歩く 浄瑠璃寺Ⅰ

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先月の京都の当尾の里めぐりは
まだ続きがあります。
早くアップしないと祇園祭がやってくる!

般若寺からしばらく行くと浄瑠璃寺があります。
お寺の名前は薬師如来の住む
東方浄瑠璃浄土に由来しています。

境内は浄土式庭園。
境内の中心の宝池には、中央に小島があり
弁才天を祀る祠があります。


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宝池の東に薬師如来をまつる三重塔が見え
池を挟んで、西岸には
阿弥陀如来を安置する本堂(九体阿弥陀堂)があります。

薬師如来は、この世の苦悩を救い
西方浄土へ送り出す遣送(けんそう)仏といわれます。

また、西岸の本堂(九体阿弥陀堂)の阿弥陀如来は
西方未来の極楽に迎えてくれる来迎仏です。


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東岸が現世で、西岸が極楽浄土。
その間にある宝池が
三途の川と思えばわかりやすいですね。

(う~ん。こんな表現でいいのかなぁ?)

お彼岸の中日には、東の三重塔の真ん中から太陽が昇り
西の阿弥陀如来をまつる本堂へ太陽が沈むように
配置されているそうです。


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住職さんのお話では
このお寺では、まず東の薬師如来に
苦悩の救済を願い
その前で振り返って池越しに
彼岸の本堂の阿弥陀如来に
來迎を願うのが本来の礼拝だそうです。

現在は本堂に入り、阿弥陀如来のお顔を拝顔できますが
当時のお堂は阿弥陀如来のお厨子のよう存在だったので
中に立ち入ることは出来ませんでした。
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by mami-2013 | 2014-07-14 19:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

当尾の里を歩く 岩船寺

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今日は奈良京都の県境へ。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての仏教美術ツアーです。

まずは、岩船寺へ。
ここは関西花の寺二十五ヵ所霊場の第十五番でもあり
今は、紫陽花が咲き始め、睡蓮が見ごろでした。


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境内に入っていちばんに目を惹く三重塔。
室町時代の建築で重要文化財です。
内部の壁画も平成15年に復元されています。

「奈良語り部の会」の河野先生に
「歴史や建築史では、建立した人の名は出てきますが
設計者や棟梁の名前は出てきません。
彼らの地位は低かったのですか?」
と尋ねたところ

古くは建物の設計者の記述が少なく
建物や瓦に名前を残すのはずっと後の時代で
塔の相輪や瓦を作る人の事を
当時は博士と呼び尊敬されていたそうです。


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中でも興味深かったのが
三重塔の四隅の垂木を支えているのが天邪鬼です。

四天王像の足で踏ん付けられている姿がお馴染みですが
仏教発祥の地、インドでは天邪鬼は
“森の精”と云われているそうです。
角や牙は無く、お猿さんのようなユーモラスな姿です。


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塔の前にある阿字池には睡蓮の花が咲いています。

岩船寺は天平時代、聖武天皇が僧行基に命じ
阿弥陀如来堂を建立したのに始まり
最盛期には、東西十六町、南北十六町の広大な境内に
三十九の坊舎を有していたそうです。


本堂の中は撮影が禁止でお寺のHPも見当たらなかったので
写真がありませんが

本堂には行基作といわれる阿弥陀如来坐像がセンターに
なんと、高さ5㍍の欅の一木(いちもく)造りです。
阿弥陀如来は極楽浄土に導いてくれるありがたい仏様です。

欅は非常に固く、しかも暴れるので彫物には向いていません。
しかも一本の欅の大木から作られ、千年以上たった現在でも
金箔が残り優美な姿を保っているのは
相当、精巧なつくりだと思います。

重要文化財ですが国宝級の作品だとか
須弥壇の四隅には四天王立像

普賢菩薩騎象像も重要文化財ですが
国立博物館へ出張中で見ることはかないませんでした。
お陰で、空っぽの厨子の背面に描かれた
法華曼荼羅がよく見ることが出来ました。


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岩船寺をあとにし、浄瑠璃寺へ向かいます。

この辺りは、当尾(とうの)の里といい
摩崖仏や石地蔵が数多く見られる
石仏の道として知られています。

鎌倉時代、南宋から来た石工が石の加工技術を伝え
石仏が盛んに作られたそうです。
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by mami-2013 | 2014-06-21 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

六道の辻を歩く 六波羅蜜寺

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最初の印象は、狭い!
六波羅蜜寺も大伽藍の連ねた寺院でしたが
ここも明治維新の廃仏毀釈を受け境内が縮小されたそうです。

平安後期には、寺域が鴨川辺りまであり
当時の権勢を誇る平家一門の屋敷が栄え
その数5200余りに及んだとか。

本堂には、国宝の木造十一面観音立像がありますが
厨子に安置され、12年に一度辰年にのみ
ご開帳されるので、あと10年も先です。


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ここでの見どころは宝物収蔵庫。

運慶の四男・康勝の作「木造空也上人立像」や
平清盛の出家した姿といわれている
「木造僧形坐像」(写真の像です)

清盛像は遠目でみていると経巻を手にし
下を向き、目を通しているように見えていたのに
一定の距離まで近づくと突然こちらを凝視するように
目が合いドキ!
もともと目は開いているのですが
照明のせいでこんな風に見えるのでしょう。
平家一門の長としての迫力を感じました。


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寺のそばにある六道の辻。
鴨川の河原は当時、遺体の捨て場であり、葬送の場でした。

古来より“あの世の入口”といわれる六道の辻には
冥界がらみの伝説や寺が多く残っています。

中でも、地獄で閻魔大王に仕えていた平安歌人
小野篁の伝説は、特に有名です。
その舞台「六道珍皇寺」もこの通りにあります。

今回は行きませんでしたが
冥界への入口の井戸…。
なんていう摩訶不思議な伝説の井戸もあります。


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六道の辻は清水寺の参道に続きます。
辻の前にある「幽霊子育飴」の看板を上げたお店。
なぜ、「幽霊子育飴」かというと

昔、夜な夜な若い女性が飴を買いに来て
不審に思った飴屋の主人が後をつけると
鳥辺山の墓地で姿を消してしまいます。

翌日、寺の住職と一緒に墓地に向かうと
盛り土の中から赤子の声がし、掘り返すと
女性の遺体の横で赤子が飴をしゃぶっていた。
という話しがお店に伝わっています。

お土産に一袋買ってみました。
麦芽糖の飴。一粒、口に入れると
普段食べる飴よりも甘みが少なめかなと思うけど
柔らかい甘みがちょうどよく、くせになりそうな飴でした。

 
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by mami-2013 | 2014-06-10 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

京都の旅 平安神宮

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平安神宮は朝堂院の一部を再現しています。
平安神宮の応天門をくぐると、広~い空間の奥に
大極殿と白虎楼、蒼龍楼が。


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翠瓦と朱の木材の対極の色彩で
美しく雅やかな建物です。

明治時代、平安遷都1100年の博覧会の時
平安時代の様式を模した
京都パビリオンとして伊藤忠太氏により設計されました。

パビリオンとはいえ、今では重要文化財です。


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主祭神は、平安遷都を行った桓武天皇と
平安京で過ごした最後の天皇、孝明天皇が祀られています。
これでも、規模は往時の約1/2だそうです。


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右近の橘
紫宸殿の南階下の西方に植えられた橘のことです。
ちょうど橘の実の季節でした。

不老長寿の妙薬として珍重されていたそうです。

さつき待つ 花橘の 香をかけば
        昔のひとの 袖の香そする (古今集)


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神苑の中です。
枝垂桜の木が目立ちますが、桜の季節ではないので
ちょっと寂しい感じ。

以前4月上旬に桜を見に来たのに
まだ早くて見られませんでした。
季節の花を愛でるって難しいです。


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神苑の泰平閣
ゆったりした時間が流れています。
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by mami-2013 | 2014-06-07 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)

京都の旅 晴明神社

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京都の人気パワースポット晴明神社に行ってきました。

まずは、「一条戻橋」を目指します。
一条通りは平安の昔、百鬼夜行があったといわれ
この通りから南は人の住む場所
北は妖怪などの異形の存在たちが住む場所
と棲み分けの境界だったところです。

この橋にはいろいろな伝説が残され
平安時代、三善清行が亡くなったとき
父の死を聞いた息子が京都に帰ってみると
葬列は丁度この橋の上を通っていたところで
棺にすがりつき嘆き悲しんだ息子は神仏に祈願したところ
父は一時蘇生し、父子物語を交わしたという伝説から
「戻橋」と名がついたといいます。

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昭和の時代になっても
この橋を通って出兵すれば必ず戻ってこられるとか
嫁入りに行くときにはこの橋を通ってはいけないなど
の伝説が今でも信じられています。

戻橋のたもとの柳には赤いリボンが多数結ばれていました。
とっても気になったのにガイドさんも知りませんでした。
どなたかご存じの方、いらっしゃいませんか?


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ここからしばらく行くと「晴明神社」
正面の鳥居は神紋の五芒星です。
これは祈祷呪符のひとつで魔よけのしるしで
神社のあらゆる所に五芒星が使われていました。


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ここはもともと、安倍晴明の邸宅跡地で
晴明の死後2年後に帝の勅旨を持って祀られたそうです。

本殿は明治になって再建されたので
唐破風を使ってあり
創建当時とはデザインは違うと思います。

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古来、桃は陰陽道では魔除厄除の果物だったそうで
岡山の桃太郎伝説や
古事記の中でも伊弉諾尊が桃の実を投げ
黄泉の国の軍隊を追い払ったという話しがありますね。


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本来なら鬼瓦の位置に桃瓦。


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古より湧き出ていたという
洛中名水のひとつで「清明井」と呼ばれています。
後に、この地の一角が茶道三千家の祖、千利休の屋敷となり
茶もこの水で点てたのであろうといわれています。

売店もありました。
あまりにも多くの魔除やお守りが売られていて
ちょっと商魂を感じ、退いてしまいましたが。^^;

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by mami-2013 | 2014-06-05 18:30 | + 京都の旅 | Comments(0)