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2015年 08月 13日

岩村城 その二

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岩村城は標高の高さにもかかわらず

井戸がたくさん残っています。
 
中でも「霧ヶ井」と呼ばれる井戸は
 
敵が攻めてきた時、この井戸の中に秘蔵の蛇骨を投げ入れると
 
たちまち霧が立ち込め城を覆い隠したという伝説が残っています。



霧の出やすい地形ということは間違いなさそうです。 

今も、こんこんと水が沸きでています。


 
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この石垣は、山の地形にあわせて石垣を積んだので

上の建物も菱型となり菱櫓と呼ばれていました。


 
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六段壁。やっとここまで来ました。
 
雛壇状に築かれた六段の石垣です。
 
聳え立つ、感動的な石垣だったのに

カメラアングルが悪く、べたっとしか撮れていませんでした。 


 
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築城当時は一番上の高い石垣だけでしたが
 
後世、崩落を防ぐために手前に補強の石垣を積むことを繰り返した結果
 
この姿になったみたいです。  


 
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両側の石垣を眺めながら石段を登ります。


 
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東曲輪より見下ろします。  

岩村城は鎌倉幕府の重臣、加藤景兼の長男、景朝が岩村に移り
 
姓を遠山と改め、以降遠山氏が代々居城します。


 
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戦国動乱の時代になると織田信長の叔母が

女城主として岩村城を守っていました。

(伯母といっても信長よりも年下だったそうです。)

亡くなった夫との間には跡継ぎがなかったので
  
渋る織田信長から五男、御坊丸を養子として迎え入れます。


  
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ある年、武田信玄の家臣、秋山信友率いる武田軍が

岩村城を攻撃しますが
 
要害硬固な岩村城が簡単に落城するはずがありません。

しかし、城下町は武田軍により、多大な被害を受け
 
女城主は心を痛めていました。
 
この時、秋山は驚くべき策を女城主にします。


 
「プロポーズ大作戦!」 


 
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「自分と結婚して城を明渡し
 
御坊丸を養子として家督を譲るとしてはどうか。」 と。 

領民と家臣を守ることを条件に女城主は
 
この屈辱的な政略結婚の道を選びます。
 
しかし、秋山信友は信長の叔母と結婚した事により 

信玄から嫌われるのを恐れ

七歳の御坊丸を人質として甲府に送ってしまいます。


 
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これを知った信長は大激怒し、岩村城を攻略すべく軍勢を送り込みました。

しかし、岩村城が簡単に落ちるはずもなく持久戦へと持ち込み

城中も次第に兵糧が乏しくなり、兵も疲れ

ついに難攻不落の岩村城は陥落し

信長は、秋山信友をはじめ女城主らを岩村城外で

逆磔にして殺してしまいました。



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領民や家臣を守った心優しく凛とした
 
「女城主」の伝説が語り継がれ

この地は「女城主の里」と呼ばれています。 


  
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本丸のあったとされる場所。
 
山頂は意外と広々としていました。
 


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よく、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる場所がありますが

この城跡を見下ろせる高台が近くにあれば

まさに「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるに

ふさわしい場所だと思いました。



(帰って調べたら既にそう呼ばれているみたいでした。)



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流れる霧に うたかたの栄枯を語れ 山城よ
 
女城主の ああ美酒旨く 舞うはこの舞 舞うはこの舞
 
薪能


 
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華やぎし 宴の名残 石垣に 

        花の笑顔の 霧と消えゆく



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眉目美しく 名も高き姿儚く 散る運命
 
女城主の ああ声いづこ 夢まぼろしの
 
霧ヶ城



(霧ヶ城物語)


 


 

 
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by mami-2013 | 2015-08-13 19:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 12日

岩村城 その一

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午後からは岩村城です。
 
ここだけ岐阜県になります。

岩村城は別名「霧ヶ城」といいます。
 
剣詩舞の歌謡吟の中に「霧ヶ城物語」という楽曲があって

架空のお話かと思っていたのですが

本当にあったお城と知り、ぜひ一度訪れたいと思っていました。



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岩村城は大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ

日本三大山城のひとつで

標高717㍍の急峻な断崖の地形を利用した城です。 



信州とはいえ30度を超す炎天下での登山
 
この岩村城がいちばんの目的だった父は

体調を考え、無念の断念。
 
ちょっと可哀想だったなぁ。



このあたりの急な坂道は「藤坂」と呼ばれ
 
藤の大木があったことが由来といいます。


 
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直線的に伸びていた登城坂がここでU字型に大きく曲げられています。 

有事の際にはここに臨時の門を構え
 
通行を遮断するようになっていました。
 
岩村城の最初の関門です。
 

 
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大手一の門と呼ばれる二層の櫓門があった場所。 
 
この石垣上には土塀が固められていました。


 
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鎌倉時代から明治維新までの約700年間の歴史を誇る山城です。
 
石垣の積み方にも時代があらわれています。

「石垣おたく」という人達がいるかどうかわからないけど

この城跡だけで700年間の石垣の変遷が見られるから

 ため息ものの貴重な場所かもしれません。


 

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岩村城第二の門、土岐門跡です。
 
遠山氏が土岐氏との戦いに勝ち、その居城の城門を奪い

ここに設置したので土岐門と呼ばれるといいます。 

土岐門はその後移築され

町内の徳祥寺の山門として現存するといいます。



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門の内側から振り返ってみました。
  
この山城はトレッキングに最適なのか

人が続々と登って来ます。


 
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巨大な石垣が現れました。
 
説明板によるとこのあたりは畳橋のあったところ。

今、立っている場所が空堀なのか?
 
説明通りの地形に見えないのは

埋まったり崩れたりしているのかな?


 
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「残された石垣などから当時の様子を思い浮かべるのが城マニアの醍醐味」
 
と聞いたことがありますが

これだけの巨石を山の奥まで手作業で運び上げ
 
人海戦術で木、土、瓦を運び、城まで築城するプロセスを
 
私には想像ができません。 

よくミステリー雑誌で紀元前の遺跡を宇宙人のなせる技…。としていますが

そう思う方が想像しやすいんです。^^



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石垣の上から見下ろします。向こう側の石垣に
 
畳橋が掛かっていたみたい。

床板を畳のようにめくることができたので畳橋とか。


下から登ってくる人々がよく見えます。

実際は櫓が建てられていたので、もっと下まで見通せたでしょう。 



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次から次へと石垣が出迎えてくれます。

ここに建物があるともっと迫力があったことでしょう。

登城口の近くには江戸時代の再建されたお城があります。 

このあたりも徐々に再建していく予定とか。



ふと、周りの人の視線が一点を見つめだしたので
 
同じ方向を見上げたら・・・。



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おお~!三重櫓!
 
張りぼてだけど。わかりやすい。

でも復元にしては、ちょっと安上がり。(失礼) 

  
帰って調べてみたら、麓の城下町から山城を見上げると
 
夜はライトアップされ、本物っぽく見えるそうです。



ただ、見られるのは夏の間だけだそうです。 






 


 


 







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by mami-2013 | 2015-08-12 19:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 10日

駒ヶ岳と「やまだや保翁」

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お昼は信州駒ヶ根の古刹光前寺の門前にある

「やまだや保翁」でお蕎麦です。 

中央アルプスの駒ヶ岳連峰を眺めながらのランチが
 
美味しくないわけありません。



私は「美味しい!」と思ったのだけれど
 
両親と夫は、いまひとつという顔で
 
私のお蕎麦よりも遅れて来たのですが
 
少し茹でが足らず粉っぽい感じでした。
 
茹で時間まちがえたのかな?


 
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お蕎麦のほかに
 
天ぷら、ごま豆腐、ニジマスの甘露煮、五平餅なども。
 
この天ぷらが林檎の天ぷらで!
 
アップルパイを彷彿させて美味しかったです。


  
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隣にあったお土産物屋さんには竹籠がたくさんありました。
 
地元の方が編んだと思われますが2000円もしないの!
 
角型の買い物籠がいい感じでした。



  
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光前寺を散策。
 
かつては破格の六十石の寺領と十万石の大名格を与えられるほど
 
隆盛をきわめたお寺です。



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大講堂。

明治以降、多くの末寺等が廃寺となっても
 
いまなお十余棟の堂塔を備えた大寺院です。


 
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ここの参道では太陽の光を浴びて蛍光色に光る

ヒカリゴケという珍しい苔が見られるというので

目を凝らして探してみたのですがわかりませんでした。



杉苔もきれいでした。 



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このあたりの予備知識はまったく無かったのですが

駒ヶ根市有数の観光地で、近くに駒ヶ根高原美術館や温泉もあります。



残雪の写真の山は千畳敷カールと呼ばれる
 
あたりじゃないかと思うんだけど…。

パンフレットによると標高2500㍍以上あり

二万年前の氷河期の氷で削り取られた地形ですって!
 
氷河期に形作られた地形が残っているなんて知らなくて

馬鹿みたいに、ひとり感動してしまいました!


夏は高山植物の宝庫で、雄大な景色を求めて

全国から多くの登山者や観光客が訪れているとか!
 
行ってみたいなぁ。
 
ロープウェイもあるというので軟弱者でも行けそうな気がします。

甘いかなぁ?



 
















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by mami-2013 | 2015-08-10 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 09日

高遠城 その二

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新城神社・藤原神社
 
このあたりが本丸跡ということになっています。

江戸時代の城主、内藤氏が祖神である藤原鎌足を祀っていましたが

高遠城の戦いで壮烈な最後を遂げた

仁科五郎盛信の霊も「新城神」と称してお祀りしたので

合祀し、今にいたっています。



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「高遠城の戦い」後、高遠は一時的に織田氏の領地となりましたが

この年、6月の本能寺の変に乗じて

武田氏の旧臣保科氏が高遠城を奪い返し城主となりました。

歴史に「もしも」はないけれど

明智光秀の謀反が3,4ヶ月早ければ武田氏は滅ぶことはなく

歴史も大きく変わっていたことでしょう。


 
高遠城址から見えるアルプスの山々。

各時代の城主は、この素晴らしい眺めを堪能していたことでしょう。



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桜の季節になるとこんな風景のようです。 
 
入り口にあった「桜まつり」のポスターをパチリ。
 
大渋滞してでも行って見たい気持ちもわかります。


 
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太鼓櫓です。明治以降に再建されました。
 
時を知らせるためにここで太鼓を打っていました。


 
この南にある「南曲輪」は名君、保科正之が幼少時代
 
母親と暮らしていた場所だそうです。
 


保科正之は二代将軍徳川秀忠の子ですが

嫉妬深い正室から逃れ、高遠城主保科正光の養子となります。



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白兎橋です。

「白兎」とは藩の仕送り役、廣瀬次郎左衛門の号です。
 
文政の百姓一揆の時、自らの米蔵を解放し

奉行所に押し寄せた百姓たちに分け与え

大事には至らなかったという逸話が残っています。

また自費で橋の修理するなど、庶民のために尽力した人でした。



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なぜ、この人の名が橋につけられているかというと

明治維新後、払い下げられ私有地となっていた

この橋の先の「法幢院曲輪」を

彼の曾孫、省三郎が買い上げ

曽祖父の号にちなみ「白兎橋」と名づけた橋を架け
 
公園として寄付したからです。



素晴らしい人達ですねぇ。

テレビの時代劇には、私腹を肥やした悪徳代官や役人
 
「切捨て御免。」の主役ばかりが出てきて
 
賄賂や不正が横行し
 
光國公や遠山の金さんのように地位と名誉が無ければ 
 
悪人を捕まえることができないと時代と錯覚してしまいます。

こんな人達の事こそテレビ番組にして欲しいです。



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ずいぶん脱線しましたが
 
ここからも残雪が見えました。

紅葉の季節には、もう新雪が見られるそうです。


 
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シーズンオフで、たくさんある土産物屋さんは
 
すべて閉まっています。
 
その小路をゆるゆると降りていくと
 
歴史博物館や絵島囲み屋敷などがあります。


 
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博物館の入り口にある保科正之公と母の像。
 
三代将軍家光の異母弟だった正之は
 
家光からの信頼を深め
 
最上山形藩20万石を経て、会津藩23万石へ増封となり
 
会津松平家の基礎を築きました。

その後、高遠城は鳥居氏、徳川譜代の内藤氏と
 
明治維新まで藩主の居城として続いたのでした。



わが流派では「白虎隊」をはじめ会津の作品が多いのですが

ここで藩祖、保科正之は生まれたんですね。 

でも、正之が徳川家に忠誠を示し、残した家訓が

幕末、会津の悲劇を生む結果になるとは皮肉なことです。



ざっくりと今の言葉にすると

 
「他の藩はどうであれ、我が会津藩は、徳川将軍に忠誠をつくしなさい。

もし、将軍家を裏切るような事があったら、それは、もはや私の子孫ではない。

家臣も、そんな主君に従ってはならない。」








     

 

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by mami-2013 | 2015-08-09 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 07日

高遠城 その一

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2日目は高遠城です。

車窓から残雪が見えただけでテンションあげまくり~。



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城下町に入った頃に太鼓櫓のお出迎え。

高遠は、高遠コヒガンザクラで有名ですが 

桜の季節は城下町から高遠城址まで観光バスが珠数つなぎだそうです。 

車道もそんなに広くないから大渋滞でしょうね。 



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ひろい駐車場は車一台いません。

でも、桜の季節だけは満車になり城下町まで渋滞が続きます。

高遠は、南北朝の頃からは諏訪氏の所領となり 

一族である高遠氏が高遠城を築き伊那一円を治めました。



その後、甲斐の武田信玄が進攻し、支配するところとなり

高遠城は、信玄の家臣であった山本勘助が大規模な改修をしました。

この駐車場のあたりは勘助曲輪(くるわ)と呼ばれています。



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伝、高遠城大手門
 
かつて、城内には四つの櫓門があったそうです。

しかし、明治新政府から城郭の取り壊しが命ぜられ
 
いずれも競売にかけられ、民間に払い下げられました。 


 
この門は、そのひとつの大手門といわれていますが

切り詰められて当時の姿は残していません。
 
持ち主から寄贈され、ここに移築されています。



よれて、くたびれた門ですが、過酷な歴史を知ると。

「よく、がんばったねぇ。」と声をかけたくなります。 



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進徳館、高遠藩士の師弟が学んだ藩校です。

高遠城の中で唯一、現存の建物です。



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天下第一の桜碑。
 
春になるとこの地にしか咲かない

1,500本のタカトオコヒガンザクラが咲き乱れます。

日本3大桜の名所として、桜の時期には
 
旅行会社がツアーを出していますね。


 
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桜雲橋。緩やかな太鼓橋です。



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橋の下は桜の海となっています。

春にはこの緑はいちめんピンク色に染まるのでしょう。

「桜雲橋」の名にふさわしい絶景でしょうね。


 
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橋を渡りきったところが「問屋門」と呼ばれる門。



もともと、高遠本町の問屋役所にあった門です。
 
問屋役所取り壊しの際、いったん売却されましたが
 
歴史ある門が高遠から失われることを惜しんだ
 
町の有志が買い戻し、ここに移築しています。
 


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高遠城は天守閣はなく櫓(やぐら)と塀、屋敷で構成されていました。

当時の進歩した築城技術と武田流兵法を勘案して築いたといわれ
 
城としての必要条件はみな備えた要害城でした。


 
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信玄は駿河や遠江に進出する重要な基地として

高遠城には、弟ら近親者を置きました。



しかし、信玄が病没した混乱に乗じて

織田信長は武田征伐を開始し

時の城主仁科盛信(信玄の五男)は織田方の和睦交渉を拒否し 

織田勢5万の大軍に対し、わずか3千。多勢に無勢。
 
武田方は玉砕し、武田勝頼も天目山で自害。
 
最強を誇った甲斐の名門武田氏はこの戦いで滅んだのです。


 
盛信の流した血により
 
高遠コヒガンザクラの赤みが増したと語り継がれています。



(つづく) 
 














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by mami-2013 | 2015-08-07 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 06日

松本城 ライトアップ

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夕食後、すっかり暗くなって

未練ったらしくまた、松本城にやってきました。



ライトアップしていたので観光客の人も結構いました。

外国人の方も多く、欧米の方がほとんどで

意外にも中国の方はほとんど見かけませんでした。

お城、興味ないのかな?



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昭和11年、国宝に指定された松本城。

別名「深志城」とも呼ばれています。

由来は戦国時代に造られた深志城が始まりだから。



信濃の守護・小笠原氏によって造られました。

その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い出し

信濃支配の拠点としました。



その後、小笠原貞慶が

本能寺の変による動乱に乗じて深志城を回復し 
名前を松本城と改めたそうです



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壁の白い漆喰と黒漆塗りの下見板のコントラスト

夜見ても、やっぱり絶妙な美しさです。



城内の説明で、いくたびかの存続の危機を乗り越え

現在まで大切に保存されていることを知りました。

勇壮に建つ松本上を見上げると
 
私財を投じてまで破壊から守った

松本市民のほとばしるような郷土愛を感じずには入られません。



どこに行っても

松本民芸家具があるのも郷土愛なのかな。 











  

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by mami-2013 | 2015-08-06 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 05日

しづか

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夕食は松本城の近くの「しづか」という

信州の料理が中心の居酒屋です。

民芸調の店内は、やっぱり松本民芸家具でした。



普通に海の幸もありましたが

珍しかったものをラインナップしてみました。



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鯉のあらい



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松本名物山賊焼き。           

鶏のモモ肉に醤油とにんにく片栗粉をまぶして揚げたもの。

竜田揚げみたいで家でも作れそう。



使われていた器が素朴でぽってりとして

このお店の雰囲気にぴったりでした。 

聞けば、瀬戸本業窯の清水半次郎さんの器だとか。



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クリームチーズの冷奴?  

これも作れそう
 


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松本名物ではないかもしれないけど

最初に筋煮を頼んだとき鰹のきいたお出汁がとても美味しくて

おでんも絶対美味しいはずと頼んだらビンゴでした。



海のない信州で

こんなに美味しい鰹だしに出会えて感動でした。

大名町を歩いていた時、鰹節のいい香りのするお店があったけど

買っとけばよかった~。



他にも「ざざむし」とか「蜂の子」「かいこ」といった虫類も

メニューにはありました。
 
(食べなかったけど)



馬刺しも美味しかった ♡

撮影するとビジュアル的に生々しかったので

載せるのはやめましたが。

海のお刺身も美味しかったけど

やっぱり信州の料理を食べるのがおすすめです。













   

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by mami-2013 | 2015-08-05 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(2)
2015年 08月 04日

松本ホテル花月

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お宿は「松本ホテル花月」松本城のすぐ近くです。

明治29年創業の老舗ホテルです。


 
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といっても古く、くたびれたホテルではありません。

手入れの行き届いたレトロ感のあるホテルです。



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館内は松本民芸家具をふんだんに使ったインテリアでした。

「松本市民の方も家では松本民芸家具を使っているのかな?」

と思うくらいどこに行ってもこの家具です。



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本館のベッドルームも当然、松本民芸家具です。

ベッドの寝心地も良かったですよ。


 
ただ、エスカレーター脇にあった松本民芸家具の椅子は
 
つくりが荒かったです。

座面に椅子の足の頭が突き出ていました。

どういうこと?お飾りなのかな?



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部屋ではいつものバブーシュに履き替えて寛ぎます。

松本の地下水はアルプスの雪解け水で名水といわれています。

その名水を使った大浴場は温泉?

と思うくらい優しい肌触りでした。



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窓からは北アルプスの山並みが見渡せます。

山の名前はわからないけれど 

槍ヶ岳、常念岳などが見えているのかな?


 
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松本城も見えました。



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夜のエントランス。


 
ツアーデスクには安曇野や上高地への

オプショナルツアーがあったので

このホテルに滞在しながら

日帰りで近場の観光地へ行くのもいいと思いました。



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ただ、残念だったのは朝食。

部屋ごとに和食を用意してくれているのですが
 
ごはんとお味噌汁と洋食はバイキング形式で
 
おかわりができるようになっており

長蛇の列でごはんと味噌汁をゲットするのに15分も並びました。

最初のごはんと味噌汁は

おかずと一緒にセットして欲しかった。



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でも、次に松本に来ることがあれば

また、ここを使うと思います。









 

 


   
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by mami-2013 | 2015-08-04 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 08月 03日

中町蔵ストリート

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「なまこ壁と蔵を見るなら中町へ」とやってきました。

塩問屋など商店が並ぶ商店街として発達してきた中町。

写真は造り酒屋の蔵を移築して開館した

「中町・蔵シック館」です。

中はギャラリーと喫茶店です。



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「中町・蔵シック館」の右隣にあった蔵。 

明治時代、大火があり多くの家屋が焼失し

頑丈な蔵だけが焼け残った事により 

蔵が大火建築物として見直され

その後も多くの蔵が建てられたそうです。



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蔵の入り口に軒や柱があり

普段、見慣れた蔵とは大きく様式が違います。

玄関ポールのような柱にもなまこ壁。

蔵にこんな柱は見たことがなかったので

この蔵オリジナルのデザインかと思っていたら

その後、同じような蔵にいくつも出会いました。

所かわれば…ですね。



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現在でも90余りの蔵が残り

昔の町並みを現在に伝えています。

同じ蔵の町でも倉敷とはずいぶん違います。



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ちきりや工芸店発見。松本の代表的な民芸店です。
 


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行きたいとは思っていなかったのに

このショーウィンドゥのガラスたちを見たら

引き寄せられるように張り付いてしまいました。^^:


「夫にちょっと入ってくる~。」と言ったら

「もう、6時で閉店だからダメ。」

「いや6時まで、あと120秒もある~!」と私。


結局入れずじまい。

 
私たちが、もめている間に父はちゃっかりと
 
「木曽義仲の展示館」へ入っていました。

そこも6時までなんだってば。 


「次回は一人旅だ!」と密かに思っています。 



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蔵の二階の窓は意外とシンプルです。

防犯も兼ね、格子とか入っているところもありますよね。

この日は天神様のお祭りです。



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駅前には多くのだんじりが待機していました。



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二階の窓


 
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気になってコレクションしてみました。



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色々あります。













  

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by mami-2013 | 2015-08-03 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(2)
2015年 08月 02日

四柱神社と縄手通り

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松本城から南へ大名町通りを歩いていると

四柱神社という名の神社がありました。


天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)

神皇産霊神(かみむすびのかみ)、天照大神の四柱をさします。 


天照大神以外の三柱の神様は古事記の巻頭で

わが国の歴史上、最初に出現された神様です。

すべての願いがかなうという

「願いごとむすびの神」として信仰されているそうです。


「なんでもかなうんだってぇ!」と 

欲どおしく願い事をしていたら両親は苦笑いをしていました。



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四柱神社の参道として賑わう「縄手通り」です。

女鳥羽川沿いに小さな商店がひしめきあっています。



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古い老舗から今風のCaféまでいろんなお店がありました。

日曜日などは大変な人出とか。

 
「TOCA by lifart…」という

キャンドル作家の人のお店に行きたいと思っていたのに

すっかり忘れていました。

木曽ヒノキの森をイメージしたキャンドルや

りんごベースのキャンドルは信州土産にぴったりだったのに。



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縄手通りは蛙の町とかで

あちこちに蛙のオブジェがありました。

この蛙の像が一番よかったなぁ。



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写真の左に四柱神社の鳥居が見えます。

そのさらに奥にカエル大明神があります。


昔、女鳥羽川はカジカガエルが鳴き

町は大変賑わっていたそうです。

その後、川が汚れ通りも活気を失ってしまった時期があり

もう一度、水清く活気のある通りにカエよう!

と、カエル大明神を祀り 

新たな取り組みを始めたそうです。



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ここは松本民芸家具を使ったインテリアの喫茶店。



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四柱神社を北に抜けたら

蔦の絡まる重厚感のある建物に出会いました。 

有名なフランス料理店「鯛萬」です。

やはり松本民芸家具を使いクラッシックでも

さらに部屋ごとにコンセプトがあるそうです。

(伊藤まさこさんの著書に書いていました。)


他にも古い看板建築が多数あり

松本は裏通りも魅力がありますね。 





 






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by mami-2013 | 2015-08-02 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)