カテゴリ:+ 2016.06.26 天平冥所図会( 13 )


2017年 01月 29日

新益京(あらましのみやこ)跡


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かつて大極殿のあった地。

新益京(あらましのみやこ)跡というよりも

学術用語の藤原京跡と呼ぶ方がなじみがあります。



春過ぎて 夏来たるらし 白妙の

衣ほすてふ 天の香久山




と、持統天皇が詠った都の跡に行ってみました。



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「あれが天の香久山、こっちが畝傍山
甘樫丘はここからは影になってるなぁ。」


大極殿跡を散歩していた地元の方に教えていただきました。



明日香にある伝板葺宮と比べると広々とした感じ。

それもそのはず、最近の調査では

平安京、平城京よりも広かった事が確認されています。



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首都となっていたこの都はわずか16年間で平城京に移ります。

ここに建っていた大極殿などの建物も解体され

平城京へ移ったと何かの本で読んだことがあります。



昔の首都移転は人海戦術だから

多くの年月を費やしたかもしれないけれど

100年かけて育った木は木材にしても100年持つといいます。



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都としては16年で終わったけれど

次の平城京でもこんな風に建ち続けていたんだろうなぁ。




 



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by mami-2013 | 2017-01-29 18:30 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(0)
2016年 09月 26日

今も続く?長屋王の祟り


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河野先生から長屋王の邸宅がこのあたりにあり 

天平時代は、貴族や王族の邸宅が並ぶ高級住宅地(?)

だったと聞いてやって来ました



その跡地に建つというイトーヨーカ堂のエントランスには

説明板がありました。
 


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発掘調査の結果、こんな大邸宅だったようです。



左大臣、長屋王の祖父は天武天皇、父は高市皇子

母は天智天皇の娘で、御名部皇女(みなべのひめみこ)。

妻の吉備内親王(きびのないしんのう)は
 
母は元明天皇、祖母は持統天皇で皇族の中でもエリートです。
 


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ここは、『平城宮』からも目と鼻の先で、最高の立地条件です。

約6万平米もの広さがあり

平城宮内裏正殿に準ずる広さだったそうです。



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そんな国政の中心人物だった長屋王に

なぜ、謀反の疑いがかけられたのかは

勉強不足で良く知りませんが 

この邸宅で妻子とともに自尽においこまれました。



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そして『長屋王の祟り』といわれる言い伝えがあるそうです。

この事件は、長屋王といさかいのあった藤原4兄弟の陰謀だったと

都人に疑惑の目で見られていたそうですが
 
天然痘の流行により、あっという間4人とも亡くなります。

 

時は過ぎて平成の世、ここは以前、そごうデパートでした。

出店が決まり、発掘調査がすすめられ

長屋王邸の跡であることがわかりました。 

4万点にも及ぶ木簡が発見され貴重な遺跡であることがわかり
 
保存を求める声も高まるも、反対を押し切りそごうは開店します。



バブル崩壊後、そごうは破綻し2000年に閉店をします。

「それみたことか。長屋王の祟りだ。」

と、言われたとか、言われないとか。





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by mami-2013 | 2016-09-26 00:52 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(4)
2016年 09月 06日

今の中宮寺と古の中宮寺


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ゆかりのあるお寺、中宮寺。

お目当てはアルカイックスマイルでお馴染みの

弥勒菩薩半伽思意惟像

モナリザ、スフィンクスと並んで

世界三大微笑のひとつに数えられるとか。

マジ?

残念ながら東京国立博物館へ出張中でした。

でも無料で入れました!



和辻哲郎氏は名著「古寺巡礼」の中で

この菩薩さまを絶賛しているとか。

読まなくっちゃ。💦



もうひとつのお目当ては

橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が


ルビがないと「たろう」と読んでしまいそう!
聖徳太子の妃のひとりです。


は、しっかり見えました。



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中宮寺から東へ500㍍ほど離れた場所です。

本来の中宮寺のあった場所で発掘調査中でした。



聖徳太子の斑鳩宮を中心として

西に法隆寺、東に中宮寺と対照的な位置にあったそうです。



だから、法隆寺(旧地若草伽藍)と同じように四天王寺式の

大伽藍だったことが確認されています。








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by mami-2013 | 2016-09-06 18:30 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(2)
2016年 08月 15日

やまと庵

 
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奈良で美味しいお店を見つけました。

やまと庵です。



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やまと豚の豆腐しゅうまい


エビも入ったフワッフワのしゅうまいです。 

食べ応えがありました。



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串焼き三種
 

大和肉鶏、やまと豚バラ、豆腐つくね
 
やまと豚は始めて...美味しい!



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やまと豚の角煮


やまと豚バラが美味しかったので
 
もう一品、やまと豚を。

口の中でホロホロほどけるような柔らかさ!

手間暇かけてコトコト煮込んだ感じです。



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大和肉鶏の黒胡椒焼き


大和肉鶏は吉野で鍋で頂いたことがあるいますが 

歯ごたえがあって、噛みしめるほど
 
うま味が広がっていきます。

大和肉鶏は焼くのがいちばん美味しいなぁ。



お肉ばかり撮っていますねぇ。

でも、大和マナのサラダなどお野菜も食べました。
 
何を頼んでもハズレがなく

地元も食材をふんだんに食べられるので 

また、行くと思います。



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場所はJR奈良駅近くの商店街の中です。


 


 

(-_^*)💝ヾ(^∇^)(*^▽^)/★*☆ヽ(〃'▽'〃)ノ☆゚'

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by mami-2013 | 2016-08-15 23:30 | + 2016.06.26天平冥所図会の | Comments(2)
2016年 08月 12日

ならまちに遊ぶ

 
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夕方、ならまちをブラブラ。



平城京に遷都されたとき
 
この地は「平城(奈良)の飛鳥」 と呼ばれていました。



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もう店は戸を閉めた時間で人気も少なくなった頃。

「蚊帳」と書かれた看板のお店です。

今時蚊帳はみかけないけれど

今は蚊帳ふきんとして

雑貨店などで買うことが出来ますね。


 
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この元興寺の旧境内を中心とした地域が「ならまち」です。
 
かつての社寺の門前町は今では観光の町です。



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無念の死を遂げた貴人の霊を慰めた御霊神社も
 
今では縁結びの神社とか。

 

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遠くに見える憧れの「奈良ホテル」。

ここから見ると崖の上に立っていることに気づきました。



このあたりの地名は不審ヶ辻子(ふしんがつじ)。

変わった名前です。



昔、鬼が毎夜現れ人々を悩ませていた頃

元興寺に力持ちの小僧がいて、鬼を退治しようと争うけれど
 
勝負がつかず、鬼は逃げ出しました。

小僧は鬼の後を追うも、鬼の姿を見失ってしまいました。 

それからこの辺りを

「不審ヶ辻子」と呼ぶようになったといいます。



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猿沢の池。ここまで来ると日もすっかり暮れました。

 

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今度は商店街をブラブラ。

修学旅行でも見かけたような土産物。

ここで「鹿のフン」というお菓子を買いました。

美味しかったです。♪
 


 



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by mami-2013 | 2016-08-12 19:00 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(4)
2016年 08月 11日

法起寺

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法輪寺から東へ行くと法起寺です。

三重塔が目立つので場所はすぐにわかりますが

駐車場が見当たりません。



受付の方に聞いたら

「門前に停めて。」とのこと。

世界文化遺産の指定を受け、国宝もあるのに

駐車場がないのは以外。



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中に入ると池に映った三重塔が。

山口の瑠璃光寺を彷彿させる姿でした。

現存する日本最古の三重塔です。



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法隆寺五重塔と同じく飛鳥様式の建物です。


この当時の建物は錆びやすい金物は使わず

木材の継ぎ手を凹凸に加工し接合することによって

遷都した時には建物をバラして

新しい都へ移築していたそうです。



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山背大兄王が父聖徳太子の遺言どおり

ここにあった岡本宮を寺に改めた時

明日香の小墾田宮(おはりだのみや)あたりにあった塔を

移築していたら…。

と、勝手に想像してみるのも面白いです。



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なにしろ、飛鳥時代の様式を伝える建物は残っていても

飛鳥時代の建物は現存していませんものね。



明日香にこんな塔が残っていたら…。

と、合成写真でも作ってみようかしら。








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by mami-2013 | 2016-08-11 22:22 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(2)
2016年 08月 09日

法隆寺西伽藍

 
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チケットを買って西院伽藍に入ります。

前回入っていなかった大講堂へ。

ここは元々学問の研鑽や法要を行う建物だったそうですが

落雷で焼け落ち平安時代に再建されたものです。



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回廊から眺めると荘厳で圧倒されます。

ここに安置されている仏像も

再建と同時に作られたものです。



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大講堂から眺めた金堂と五重塔

中門は残念ながら工事中でした。

この日は梅雨の晴れ間で

多くの小学生も遠足に訪れていました。

世界遺産に来られるなんて

なんて贅沢な遠足でしょう!



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廻廊の連子窓とエンタシスの柱が

金堂と塔を包み込んでいます。



聖徳太子が父の用明天皇のご遺願を継いで造られた法隆寺。

 仏教の興隆に尽力した聖徳太子ですが

厩戸王子と呼ばれていた頃

蘇我氏と一緒に廃仏派の物部氏を攻め滅ぼしています。


教科書には載っていなかった事実。

そんな歴史を今回の旅で知りました。



3年前の西院伽藍です。




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by mami-2013 | 2016-08-09 09:00 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(0)
2016年 08月 01日

法隆寺西円堂と御所柿


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西大門をくぐり左の石段を登っていくと

西円堂や三経院及び西室があります。

どちらも国宝ながら観光コースから外れているので

人通りがほとんどありません。

一昨年前に行った河野先生のガイドでは入っておらず

帰ってからパンフレットで気がついた場所です。



 
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南北に長い三経院及び西室を南から眺めます。

平側は京都の三十三間堂よりも長いんじゃない?

と、思い調べたけど十九間しかありませんでした。((+_+))



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門から先が西室で棟続きながら

門で三経院と別れています。

西院伽藍の外にある東室と一対になっているそうです。



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更に石段を登ると西円堂に到着。

円堂と名前は付いていても八角堂でした。

が、夢殿とそっくりさんで!

帰ってから夢殿で撮った写真と穴があくほど見比べました。



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軒先の二重の垂木も美しい!

このあたりの意匠も夢殿と一緒。

西円堂には柱の上の斗栱(ときょう)が角の柱にのみ付いて

基壇が低いせいか手すりはありません。

夢殿は全ての柱に斗栱がついています。

建物の大きさはどちらも同じだから

夢殿の屋根が重量級ってわけではなく

装飾としての役目だったのでしょうか?

どちらも行基が建立したものですが

現在の西円堂は鎌倉時代に再建されたものでした。

ということは夢殿が雛型になっているのかな?

でも、ここは拝観料なしで見られるという太っ腹な国宝です。



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すぐ近くにあった鐘

隣で団体旅行のガイドさんが正岡子規の俳句

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」

で有名な鐘と紹介されていました。


う~ん

私がここに来る前に読んだ本には

『子規が雑誌「ほととぎす」の中で
「御所柿を食ひし事」と題して
「奈良の旅館で御所柿を食べていると東大寺の鐘が鳴った」
と記していて、そのときの情景を詩情豊かに書き表し
後日、この名句が生まれた』

と書かれていたんだけど...。

まあ、どっちでもいいや。



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法隆寺で詠まれたという説(?)では

この下にある茶店で御所柿を食べていた時だそうです。

御所柿は今では「幻の柿」と言われているそうですが

この鐘は今も

斑鳩の里に時を伝えているということです。






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by mami-2013 | 2016-08-01 23:17 | + 2016.06.26天平冥所図会の | Comments(0)
2016年 07月 28日

1400年の住宅街 西里

 
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藤の木古墳から法隆寺の西大門に向かって歩きます。

車、一台がやっと通れる閑静な宅街ですが
 
このあたり一帯は
 
大工、左官、瓦職人、石工等

法隆寺を支えた宮大工の本拠地だったとか!


 
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ひび割れた土塀すら、いい趣きを出しています。

今をさかのぼること1400年。

かの聖徳太子が斑鳩に宮を造営して以来

歴史を刻み続けている町並みです。 


 
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土塀の中のニッチ(?)に

愛宕大明神をお祀りしていました。



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ちょっとした路地の奥にも 

祠が。
 
鬼瓦や鐘馗等、各民家の意匠も見ごたえがありました。


あ! ただ、ここは生活をされている住空間なので

家の中は覗いちゃダメです。

観光地ではないので怪しい人に間違えられます。




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当時は石畳の路だったのでしょうか?

法隆寺の西大門に一歩入れば

観光客やガイドさんがわんさかいるのに 

この路を歩いている間は

誰ともすれ違わずのんびりと歩きました。
 



夫が「小学校の修学旅行以来

法隆寺には行ったことがないから行ってみたい。」

と、言った時は

私は1年前に行って来たばかりで「え~!」 

だったけど、1400年の歴史を持つ斑鳩は

いくらでも見所がありました。
 
(#^.^#)








 


 

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by mami-2013 | 2016-07-28 15:30 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(2)
2016年 07月 22日

藤ノ木古墳



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法隆寺のすぐ近くに藤ノ木古墳があります。

未盗掘の古墳から豪華な副葬品が

ザクザクと出てきたニュースは

今でも覚えています。



実際に古墳の前に立ってみると

高さが10㍍弱のこじんまりとした古墳でした。



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今まで見てきた古墳の中では

「整備されすぎ?」というくらい

石室入り口は堅牢なドアがついていました。

未盗掘だったから今でもここに眠っているのでしょう。



センサーがどうのと書いていたので

何かあれば、セコムのように

飛んでくるのかもしれません。



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入り口の反対側に回ってみると

まだ、梅雨もあけていないのに秋桜が咲いていました。



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古墳の中からは、ひとつの石棺から二体の男性の人骨と

金色に輝く王冠や馬具とともに

1万点以上の副葬品も出てきたとか

いったいどんな人だったんでしょう?



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埋葬されていたお二人は

石棺の中で一緒に眠っていたお宝が国宝となり

ここから運び出され

橿原考古学研究所に展示保存されていることを

知ったら、喜ぶでしょうか?



それとも

「返せ。泥棒っ!」て嘆くのでしょうか。

歴史的に貴重な発見も

死者の立場になれば切ないです。






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by mami-2013 | 2016-07-22 18:30 | + 2016.06.26 天平冥所図会 | Comments(4)