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2015年 07月 31日

松本城 その二

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松本城の渡櫓から入り、乾小天守に移動します。

入るなり、狭間が多いなぁという印象をうけました。

縦長の狭間は矢狭間で、60箇所もあります。
 
内側が広がり、外はすぼまっています。



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四角い狭間は鉄砲狭間で

鉄砲狭間は55箇所あります。


松本城は鉄砲が伝来して50年後に建てられたお城です。

外観の白と黒の対比の美しさに目を奪われていましたが

内部を見ると防衛のための完全武装したお城です。



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天守内の周囲が50㌢ほど下がっています。

「武者走」と呼ばれ、戦闘状態になった時は

武士が矢玉を持って走り回るので、こう呼ばれているそうです。



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ここには火縄銃の展示がたくさんありました。

個人の方が一生涯をかけて集めたコレクションで 

鉄砲141挺をはじめ数多くの装備品を松本市に寄贈されています。



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天守一階から三階までは、このように柱が林立しています。

高層の天守のためには、構造的にしっかりしていると思います。


ここは天守の三階で

天守二重の屋根裏に当たるので窓がありません。


.
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明かりは千鳥破風の木連格子(きつれごうし)だけです。
 
そのため当時は「暗闇重」と呼ばれていたそうで

外部からは見えないので有事には「武者溜」にもあてられたとか。


この外から見えない階ができるのは

望楼型と呼ばれる天守に共通し

外観は五重なのに、内部が六階あるのはそのためです。


ここから四階へは階段が対角線上に2箇所ありました。

急な階段なので登りと降りの見学者がぶつからないので安全です。

二方向非難もばっちりです。



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この四階から五階に行く階段が特に急勾配で

蹴上げが40㌢もあるそうで

子ども達は梯子のように、さばりついて登っていました。


現代の建築基準法にてらせば

住宅で、蹴上げ23㌢以下、踏面15㌢以上必要なので

公共建築物はもっと穏やかな勾配が必要です。

どれだけ急な階段かわかっていただけるでしょうか?

バリバリの基準法違反です。^^;


火急の際のために「滑り捧」があれば

この階段を武者姿で駆け降りるよりも安全では?

と、老婆心。 



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柱や梁など手の届かない場所には

鎗鉋の痕が残っていました。



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四階から上は柱の数も減り、広い空間です。

御簾がおろされ部屋らしい造りです。

ここから上は、天守最上階です。
  


(明日につづく)












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by mami-2013 | 2015-07-31 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(2)
2015年 07月 29日

松本城 その一

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松本といえば国宝松本城。

このお城を見るために

ここまで来ました。



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お堀は比較的なだらかです。 

威圧的な高い石垣に囲まれた

戦うための堀を想像していたので

お堀の優美さに拍子抜け。



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太鼓門から登城。

名前の由来となった太鼓楼は、ここで時や登城の合図など

重要な役割を果たしていました。


明治維新の旧物破壊思想のもと取り壊されたそうですが

平成11年に復元されました。

史跡を巡っていると明治維新で取り壊された建築物が必ずあります。

明治維新って、いったい何だったのでしょう。



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太鼓門の櫓門(一の門)をくぐると内側にも門(二の門)があります。

このように二重に門を構えることで

城の守りを堅牢にしたようです。

このような門を枡形と呼ぶそうです。



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櫓門の脇には重量22.5㌧の巨石「玄播石」を携えています。

城の重要な門には、威厳を持たせるために

こういった巨石がよく使われるそうです。


この石には、逸話が残されています。

ざっくりとお話ししますと


「玄蕃石」をここに置くよう命じた時

ひとりの人夫が「無理!」と言ったそうです。

その場で人夫は首を落とされ

その首を槍でさし、現場に晒すことにより

その難工事が速やかに終わったとか。 


ああ、おぞましや~。



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二の丸御殿跡は公園として整備されています。

本丸御殿が焼けた後

明治維新まで藩の政庁は、ここで行われました。



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ここまで来ると内堀に映る松本城が見られます。

写真では黒くて地味な印象だったけど 

400年以上の時を経た今も

北アルプスを背に威風堂々とした雄姿を見せてくれます。

やっぱり、現場に行くべきですねぇ。

 
  
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さらに黒門と呼ばれる本丸に入る正門をくぐります。

黒門も櫓門と枡形から成り立っています。

櫓門は昭和35年に復元されています。



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二の門と袖塀は平成2年に復元されています。 
 
金飾りが煌びやかに存在を主張しています。

この黒門は石川康長の時代に造られたので

なんで「笹竜胆」の紋ではなく「桐」なのかと調べたら

父の石川数正がボスの豊臣秀吉から拝領した「五七桐紋」ということでした。


垂木の先端部分は「丸に花おもだか」で

江戸時代、1642年から1725年まで城主をつとめた水野氏の家紋です。 



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本丸御殿跡までくると天守は目の前です。

御殿は1727年に焼失し、現存しません。



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見上げると鉄砲狭間、矢狭間や石落が見られます。

石落は石垣をよじ登ってくる敵を防ぐ目的で作られています。
 

渡櫓(わたりやぐら)は天守と乾小天守とをつなげています。

ここが天守の入り口となります。


(つづく)












  

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by mami-2013 | 2015-07-29 21:39 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 07月 28日

宗忠神社の七夕まつり

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昨夜は宗忠神社の七夕祭りでした。 

 「中途半端な日だなぁ。」と夫。



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なんでも"杜の都仙台"から

「仙台七夕まつり」の七夕飾りが宗忠神社に"お嫁入り"してきたのを機に

7月最後の日・月曜日の両日に

この「七夕まつり」が行われることになったとか。

 
お嫁入り?婿殿は?



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大鳥居から拝殿前までの石畳の参道に沿って

七夕飾りが出迎えてくれました。

しっかりとした和紙でできていて雅やかです。



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吹流しの簾をくぐって拝殿の前にやってきました。

拝殿の前だけは清楚な白い七夕飾り。

仙台の七夕も行ってみたくなりました。



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境内には約30本の竹笹が林立していました。

祈りを込めた願い事の短冊が結び付けられて。

境内には楠も林立しているから調和が取れた感じです。



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色とりどりの笹飾りが月光に照らされ、夜風に吹かれて

ここに願い事を書けばすべて叶えてもらえそうな

神秘的な夜。



と、写真では写っていますが・・・。



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実際は屋台と多くの人出で賑わっていました。











 
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by mami-2013 | 2015-07-28 18:30 | 行事・暦のこと | Comments(1)
2015年 07月 27日

松本の七夕人形

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松本の中町蔵を歩いていると

楽器屋さんの前に小さな紙の飾りがありました。



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漆器屋さんのショーウインドウでは

松本の七夕と書いた短冊も一緒でした。

そう、松本では8月7日に七夕を行うようです。



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「中町・蔵シック館」には七夕飾りもありましたが

願い事の短冊が

五色の短冊じゃなかったのが驚きでした!



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薬屋さんの軒先には子どもの浴衣を着た

七夕人形もありました。

頭の部分は木製でした。


この頭だけが飾られているところもありました。

(それも正式な飾り方?)



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「はかり資料館」のウィンドゥの前には

小さな七夕人形がずらずら。



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この写真はチラシになっていたものを

カメラで撮りました。


その家に初めての子どもが生まれた時に

健やかな成長を願い

七夕人形を贈る習慣があるそうです。

まるでお雛様のようですね。


縁側の軒下にお人形をぶら下げて

縁側にめんしたお座敷にお供え物を置くみたいです。


お供え物も「おやき」や「ほうとう」といった

郷土色のある食べ物も供えられるそうです。



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今でも伝統的な習慣が伝え残されているのは

素晴らしいことだと思います。





 
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by mami-2013 | 2015-07-27 18:30 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(2)
2015年 07月 26日

松本城下町湧水群

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松本の城下町を歩いていると

至る所で湧水の井戸に出くわします。

この井戸は「大名町大手門井戸」です。



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水をすくうと、ひんやりとして、汗ばんだ手に心地よいです。

これらの湧水は、女鳥羽川と薄川の複合扇状地によって

豊富な地下水が湧出する湧水地帯だそうです。



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「中町・蔵シック館」の敷地地内にある手漕ぎ式の井戸です。

地下25mから汲み上げているそうです。



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軽い力で勢いよく水がでてきます。

これらの地下水の水源は日本アルプスの

山々の雪どけ水。

そう聞くと、美味しいこと間違いなし!



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中町通りをさらに東へ歩くと、また井戸が…。

中町通り付近には特に多く残っているそうです。



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泊まった「松本ホテル花月」の横にあった井戸。

ホテルの館内の水は

全てこの地下水とお聞きしました。

大浴場を利用したとき

少しぬめりを感じたのは、そのせいかもしれません。

24ある井戸、すべてを巡るのは無理だけど

飲み比べてみるのも面白そう。

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by mami-2013 | 2015-07-26 18:39 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(0)
2015年 07月 25日

メガメロンパン

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養老サービスエリアで夫の買ってきたメロンパン。

「おっきなメロンパン食べる?」

と聞いてきたけど

夫の頭と同じくらいありました。


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by mami-2013 | 2015-07-25 17:17 | 美味しいもののこと | Comments(2)
2015年 07月 25日

松本市

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松本城に来ています。

車で7時間。遠かったー。


信州といっても、松本市は盆地だから

思った以上に暑かったです。



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夜、夕食の後

街を散策していたら花火の音がしたので

お城とコラボレーション

と行ってみましたが、音だけで花火は見えませんでした。



ホテルに帰りポータの方にたずねたら

歩いて20分くらい先にある天神様のお祭りの

クライマックスの花火だけど

ここからは見えないとの事でした。




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夜はライトアップをしています。

タブレットで撮影したので

今一つですが

帰ったらしっかりアップします。




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おまけ。

ファミマで見つけました。

りんごバター

とっても美味しそうで買ってみました。

岡山では絶対にお目にかかれません。






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by mami-2013 | 2015-07-25 00:01 | + 2015.07.24 信州の旅 | Comments(4)
2015年 07月 24日

倉安川吉井水門

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水車の近くには

倉安川の吉井水門がありました。

吉井川からの分岐点に位置します。



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この水門は県の史跡ということで

水門の小屋にはパンフレットや案内板が設置されていました。


倉安川は、岡山藩主池田光政が津田永忠に命じて開削させた

吉井川と旭川を結ぶ総延長20㌔の運河だそうです。



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吉井川側の「一の水門」です。

約330年前に築かれた当時のままの花崗岩の石垣。

なめらかなアーチ状に積み上げられ美しい!



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「高瀬回し」という船だまり。


吉井川と倉安川の水位が違うので

「一の水門」、「二の水門」と、二重に水門を設置し

堰板が開閉することにより

通行したい川の水位にそろえ運行する「閘門式」という技術です。


1679年当時では土木工事の中でも最先端技術だったのでは?

現存する閘門式水門としては日本最古だそうです。
 

閘門式水門とは高低差こそ、大きく違いますが

パナマ運河と同じです。



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倉安川側の「二の水門」です。

堰板が開いていて、「船だまり」は倉安川と同じ水位になっていました。



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この水門を通って

岡山城下へ年貢などを運ぶ高瀬舟も往来したといいます。


高瀬舟というと京都の高瀬川を思い浮かべますが

京都の豪商・住倉了以は吉井川の高瀬舟を見て

京都の高瀬川の開削をはじめ、全国の河川開発の参考にしたといいます。




過去の津田永忠氏の遺産に関するレポです。

よろしかったらどうぞ。



後楽園:後楽園のお田植え祭(2013.6.9) →  


奴久谷の大滝:一日限り!幻の「大滝(和気町)」)(2013.12.3) → 


新田開発:沖田神社に初詣(2014.1.6) → 


閑谷学校:観 梅(2014.3.21) → 

  
閑谷学校:旧閑谷学校(2014.3.22) → 




 

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by mami-2013 | 2015-07-24 18:30 | おでかけのこと | Comments(0)
2015年 07月 23日

倉安川の揚水水車

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水田に水を汲み上げる

揚水水車があると聞いてを見に行きました。

倉安川の流れを利用したメタリックな水車。

三基並んで水をくみ上げていました。



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この水車、既製品ではありません。


トタンの波板、空き缶、ステンレスなど

廃品を利用して作られていました。



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これなら電力も労力も使わずecoです。



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働き者の水車は、水さえあればパシャパシャ周り

汲み上げられた水は

この樋を通って田に流れていきます。



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トタンの羽根板には、藻がついて黒くなっています。


いつの頃から使われているのでしょうか?

この水車の前は木製の水車だったのでしょうか?

それとも歴史の教科書に載っているような足踏みの水車?

揚水水車の変遷を調べてみるのも面白いかも。



















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by mami-2013 | 2015-07-23 18:30 | おでかけのこと | Comments(2)
2015年 07月 22日

虹と夕焼け

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夕べ虹が出ていました。 

ちょうどジムから出たときに見つけ 

急いで帰り、カメラを取り出しました。



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一年ぶりの虹。

綺麗な弓型ではなく真上で終わりの90度でした。

「赤(せき)、橙(とう)、黄(おう)、緑(りょく)、青(せい)、藍(らん)、紫(し)」の

七色というより、夕日に染まり四色に見えました。



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虹の色は国によって違うと聞きます。

8色の国もあれば4色の国も…。

おもしろいです。



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 シャッターを切っているうちに

夜のとばりが降りて、虹もかき消されてゆきました。  






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by mami-2013 | 2015-07-22 18:30 | 日々の暮らし | Comments(0)