岩村城 その一
2015年 08月 12日
ここだけ岐阜県になります。
岩村城は別名「霧ヶ城」といいます。
剣詩舞の歌謡吟の中に「霧ヶ城物語」という楽曲があって
架空のお話かと思っていたのですが
本当にあったお城と知り、ぜひ一度訪れたいと思っていました。
岩村城は大和の高取城(奈良県)備中の松山城(岡山県)と並ぶ
日本三大山城のひとつで
標高717㍍の急峻な断崖の地形を利用した城です。
信州とはいえ30度を超す炎天下での登山
この岩村城がいちばんの目的だった父は
体調を考え、無念の断念。
ちょっと可哀想だったなぁ。
このあたりの急な坂道は「藤坂」と呼ばれ
藤の大木があったことが由来といいます。
直線的に伸びていた登城坂がここでU字型に大きく曲げられています。
有事の際にはここに臨時の門を構え
通行を遮断するようになっていました。
岩村城の最初の関門です。
大手一の門と呼ばれる二層の櫓門があった場所。
この石垣上には土塀が固められていました。
鎌倉時代から明治維新までの約700年間の歴史を誇る山城です。
石垣の積み方にも時代があらわれています。
「石垣おたく」という人達がいるかどうかわからないけど
この城跡だけで700年間の石垣の変遷が見られるから
ため息ものの貴重な場所かもしれません。
岩村城第二の門、土岐門跡です。
遠山氏が土岐氏との戦いに勝ち、その居城の城門を奪い
ここに設置したので土岐門と呼ばれるといいます。
土岐門はその後移築され
町内の徳祥寺の山門として現存するといいます。
門の内側から振り返ってみました。
この山城はトレッキングに最適なのか
人が続々と登って来ます。
巨大な石垣が現れました。
説明板によるとこのあたりは畳橋のあったところ。
今、立っている場所が空堀なのか?
説明通りの地形に見えないのは
埋まったり崩れたりしているのかな?
「残された石垣などから当時の様子を思い浮かべるのが城マニアの醍醐味」
と聞いたことがありますが
これだけの巨石を山の奥まで手作業で運び上げ
人海戦術で木、土、瓦を運び、城まで築城するプロセスを
私には想像ができません。
よくミステリー雑誌で紀元前の遺跡を宇宙人のなせる技…。としていますが
そう思う方が想像しやすいんです。^^
石垣の上から見下ろします。向こう側の石垣に
畳橋が掛かっていたみたい。
床板を畳のようにめくることができたので畳橋とか。
下から登ってくる人々がよく見えます。
実際は櫓が建てられていたので、もっと下まで見通せたでしょう。
次から次へと石垣が出迎えてくれます。
ここに建物があるともっと迫力があったことでしょう。
登城口の近くには江戸時代の再建されたお城があります。
このあたりも徐々に再建していく予定とか。
ふと、周りの人の視線が一点を見つめだしたので
同じ方向を見上げたら・・・。
おお~!三重櫓!
張りぼてだけど。わかりやすい。
でも復元にしては、ちょっと安上がり。(失礼)
帰って調べてみたら、麓の城下町から山城を見上げると
夜はライトアップされ、本物っぽく見えるそうです。
ただ、見られるのは夏の間だけだそうです。