足守川の桜と高松城水攻めの痕跡
2017年 04月 22日
支流の血吸川の桜を見た後
本流の足守川にやってきました。
ここも吉備線(桃太郎線)の鉄橋が
架かっています。
散策をしていると
こんな碑が建っていました。
羽柴秀吉が備中高松城を「水攻め」した時に
足守川のこのあたりを堰き止めて
3㌔ほどの堤防を築いた時
水を引き込んだ場所らしいです。
堤防の脇に神社を見つけました。
鳥居に「八幡宮」とあったので
葦守(あしもり)八幡宮かと思って入ってみました。
随身門まで上って
生石(おいし)神社であることがわかりました。
拝殿でお参りをした後
本殿に廻ってみました。
祭神は古代吉備と深い関わりがあったという
応神天皇でした。(仁徳天皇の先代で古墳時代の頃ですね。)
千二百年以上の歴史のある神社のようです。
その後、生石氏が生石八幡宮を祀り
この山に生石城を築いたそうです。
もともとは、毛利氏の配下にいた生石氏が
論功に不満をもち毛利から秀吉方に寝返り
水攻めの際には加藤清正がこの山に
陣を張ったと伝わっているそうです。
(生石神社の看板より)
ん?
神社なのに鐘撞堂もあります。
生石氏の時代、氏寺の報恩寺もあったというから
その名残でしょうか。
今は小さな神社ですが
激動の歴史を見届けてきた神社です。
毛利氏との和平講和も含め、高松城水攻めは
秀吉にとって大きな転換期となった戦いだと思います。
鏡面のように桜を映し静かに流れる足守川。
周辺には備中高松城址をはじめ陣城跡があります。
秀吉が陣を置いた龍王山と今も曲輪(くるわ)跡の残る石井山。
吉川元春の陣があった岩崎山、小早川隆景の日指山。
全国で4番目に大きいという造山古墳も
毛利方の陣地に使用されたとか!
(なんてバチ当たりな。)
今も古墳の頂に土塁や横堀が残っているらしいです。
以前に、高松城址に行ったときのレポがありました。
よろしかったらご覧下さい。
歴史のお勉強もできた気分です^^
mamiさん、ありがとう~^^
いつも綺麗なお写真と共に綴られるお出かけのご様子、楽しく拝見しています。
水攻めの痕跡と高松城跡は、随分前の春浅い頃に訪ねたことがありましたので、とても懐かしくなりました。
余り本数の多くない電車を乗り逃さないように良く調べて利用し、たくさん歩いてこの界隈を回りました。
お花の時期には、こんなに綺麗な景色に変わるのですね。
その上、つくしんぼうも!!可愛いです♪
また訪れたくなりました。
この神社は知らずに偶然見つけて行ったので
備忘録を兼ねてアップした記事でした。^^
小さな目立たない神社でも
歴史の中では大きな役割があったんだなって
思いました。
わざわざ、東京から水攻めの痕跡をもとめて
ここまで来られたのですか!
水攻めの痕跡はあちらこちらに残っているので
歩いて回ると相当な距離になると思います。
usakoさんのコメントを拝見して
以前、高松城址の「宗治まつり」をアップしていた事を思い出し
追加してみました。^^