平成を惜しむ
2019年 04月 30日
改元が決まって以来飛び交っていた「平成最後の○○」という
コピーも今日が最後でしょうか。
私は昭和生まれですが、気がつけば昭和よりも
平成を過ごした時間のほうが長くなっていることに気づき
月日の速さに唖然とした今日この頃です。
今朝の地元紙の記者が「平成は災害の時代」と書かれていて
そうかな?とも思ったのですが
平成3年、雲仙普賢岳の大噴火は噴火の取材をするために
現場にいた報道関係者が火砕流に巻き込まれてしまい
報道の使命感と人命についての論議が残っています。
阪神大震災になるとこの頃から
テレビをつけるだけで災害の悲惨な様子が
ライブで見られるようになったことが衝撃的でした。
瓦礫に挟まれ救助を待つ人にインタビューするレポーター
何もせずただ画面を見ているだけの自分に対する嫌悪感。
そんな気持ちがボランティアにつながっていくのかもしれません。
と、今日は平成の悪いことを書こうと思ったのではありません。
今日が平成の終焉ですが終わりだからといって
地球がドラマチックな夕陽を見せてくれる訳でもなく
粛々と回転し深夜0時になると「令和」になるわけです。
「惜しむ」という言葉が好きです。
惜しむ対象は当たり前だけど「いいこと」じゃないとダメです。
悪いことを惜しむ人なんていませんしね。
過ぎて行くことを諦めながらも愛おしく思うもの。
宝石のような思い出ばかりでなく
陽炎のように気づきもせず、家族か顔を合わせ
当たり前に食卓を囲み過ごし続ける日も
その生活が破たんした途端
「惜しむ」ものになることに気づきました。
ブログを始めた頃、父は野菜作りに夢中でした。
庭の一角にある小さな畑の世話をしながら
「野菜を育つ姿は面白い。百姓もいいなぁ。」
と、言っていました。
祖父はお百姓だったので「今さら?」と思いましたがね。
やがて糖尿病が悪化した父は
「カリウムやたんぱく質は控えるように」
と言われ、野菜をやめ作り始めたのが
フルーツでした。
文旦、柚子、サクランボ、アーモンド、みかん等
様々な苗木を買ってきて植えていました。
いや~。フルーツもカリウムの塊ですよ!
美味しいフルーツをおすそ分けしてもらう身としては
嬉しいけど、複雑な気分です。
そしてついに、人工透析が始まりました。
週に3回の透析は辛いようです。
健康もまた「惜しむ」ものと気づきました。
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なんだか、とりとめのない文章になりました。
平成最後の夫の疑問です。
朝、足の指を見ながら
「手の指は、親指、人差し指、中指と呼ぶけど
足の人差し指はどう呼ぶんじゃ~?足の指で人は差さんぞ。」
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